ツインレイに会ったらこうなった

ツインレイに会ったある女のブログ

ツイン論文①「融合した人々」心理学の見地からの特別なパートナーシップ、ツインレイの考察

 

時々ツインについての考察を論文ぽく書いておくことがあります。

 

 

ちょっと前に書いたものなんですが、記録としてここに残したいと思います。

 

 

だいぶ長文ですが読んでいただけたらと思います(^ ^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


恋愛関係や親子関係に起きやすい共依存という関係を持つことができない、いわば理想的な相手をツインレイと呼ぶ。
ここではそのツインレイに出会った人々を「融合した人々」とする。

 


共依存というのは、相手の問題と自分の問題を混同してしまい、境界線があやふやになったまま、様々な問題を起こしてしまう関係性のことをいう。


世の中の犯罪、モラハラパワハラ、セクハラ、DV、虐待などその間違った関係性はこの共依存から発生することがほとんどである。
機能不全家族などもその例であり、9割が機能不全と言われるくらい、世の中には不適切な関係により築かれた家庭がほとんどなのだ。


心理学において、この共依存から抜け出し、お互いが自立した相互依存という関係性を築くのが人間のベストなコミュニケーションなのだが、特に壊滅的な機能不全家庭で育った者にはそれが難しく、一生かかっても手に入れることができないことも珍しくない。


そして健康的な家庭で育っても、適切なコミュニケーションが取れない、一定の人々の問題行動により犯罪、事故に巻き込まれるなど、日々の生活(学校や家庭で )をスムーズに生きることが困難になることも多い。


共依存というものを知り、それぞれの問題に目を向けて自己の成長に邁進して、相互依存という形で身近な人と共に人生を向上させていくのが理想的な生き方なのだ。

 


そこで非常に大切な役目をするのがこの「融合した人々」である。


本来人と人の間には境界線というものがあり、それをいわゆる「壁」と呼ぶ。その壁を自ら破り、相手の心に訴えかけ、そして相手がその気持ちに応えて同じように壁を破り、コミュニケーションを取ることを「腹を割る」というのだが、それが理想的なコミュニケーションである。


昨今の人々は様々な社会的な要因により、この壁の壊し方を知らず、非常に希薄なコミュニケーションをする。
心を開くということよりも、感情を消して当たり障りのない会話で終わることをコミュニケーションと捉える人が多い。


要するに、「壁」というものを壊すどころか、壁の中に隠れたままのコミュニケーションをする時代になっている。もはやそれはコミュニケーションでもなんでもなく、感情を伴わないただの接触だと言える。

 


ここでひとつ、特殊な壁の例を挙げよう。
この壁がすごく薄い状態で関係が成立する場合がある。
それが母子の間である。
生まれたばかりの子は命を守ってもらう必要があるので、母に全てを明け渡す必要がある。
母も子を守るために命がけで子育てをする。
この両者は特別な結びつきで成立した人間関係であり、時には勘で我が子の危機を察知したりする。壁が限りなく薄い、パートナーシップの例である。


この母子の結びつきは非常に強く、壁がほとんどない状態で関係が始まる。
しかし子が成長するにつれ、壁も比例して次第に分厚くなるのだ。
やがて母子間で衝突が起き、反抗期という形で母子間の結びつきは終わりを迎える。
これは健康的な母子間には必ず起こることなのだ。
反抗がなければ、子は自立することはない。
母子間の断絶は反抗期によって行われ、子は自分の人生へと向かう。

 


ここまでのことを踏まえた上で「融合した人々」の説明をしようと思う。


まず大まかな点を述べる。


①壁、境界線がない
②真逆な性質を持つ
③最大の愛と最大の厳しさを与え合う

 


①壁、境界線がない


この「融合した人々」はある特定の人との間に、この「壁」が全くない状態で関係が始まってしまう。互いが互いにとって特別だと意識した瞬間にその壁が消え、お互いが完全に融合してしまうのだ。


それはこの母子間よりも強固な結びつきであり、1度融合してしまうと、壁など2度と存在することはない。


つまり、反抗しても、拒否しても壁がないのである。両者はやることなすこと、のれんに腕押しの状態で、非常に混乱する事態となる。
何かを相手に強く訴えたところで、届かないことばかりなのだ。なぜなら相手にした反抗や自己主張は壁を作る作業になるからだ。
母子間で行われる相手からの自立、をしようとしても、そもそも最初から壁がないので相手はこれまでにない反応を見せてくる。
相手との境界線を作ることがそもそも無理なのだ。
意味不明の事態に混乱し、憔悴し、どんなに離れたくともそれは叶わない。
相手と自分を受け入れるしか道がないのだ。
母子はやがて離れる時が来てしまう。
互いに境界線があるからだ。
この「融合した人々」は境界線がない、つまり一生相手と共にベッタリと生きていかなくてはならない。


そしてそのベッタリとした結びつきは、もちろん母子以上の結びつきなので、磁石のように相手に引き寄せられてしまう。これまで感じたことのない安心感(母に抱かれていた頃に感じた安心感よりも大きい)に包まれ、一生離れたくないとすら思ってしまう。
それ故に相手にすがり、欲し、自分の成長から逃げ出してしまいそうになる。
しかしその欲望こそが大きな勘違いなのだ。
自分から逃げること、自己の成長を手放すことは、境界線があるからこその反応なのである。
実のところ本物の安心があれば自己の成長にフォーカスせざるを得なくなるのだ。
「融合した人々」は完全なる安心の中にいることを認めることに時間がかかってしまう。
これまでのルールから逸脱しすぎているからだ。

 


それこそがこの「融合した人々」の非常に悩めるところなのだが。
全く境界線のない相手を目の前にしたとき、人々はただ混乱するしかなくなるのだ。


その愛が大きすぎて、現実に起きていることが信じられないのだ。
様々な常識やルールを軽く飛び越えてしまい、脳がショートしてしまう。

 


②真逆な性質を持つ


さらに互いは潜在的に真逆な性質を内包している。これまでに会った完全なる合わない人を再現し、なおかつ最大の愛を持って離れないという奇跡を再現してくれる。
互いに真逆の性質を持つということは、わかり合うことにかなりの時間を要する。
気の合わない人と接した時の絶望感や理解不能感を感じてみると分かりやすい。
最大の愛を感じると同時に、誰よりも距離を感じるという支離滅裂な混乱が生まれる。


しかし融合してるが故に、相手との接触をあきらめることなどできるはずもなく、同時に大きい劣等感を相手に抱え、人生最大の集中力を持って相手の性質を自らに取り入れようと奔走する。


それが最大の自らの成長へとつながり、劣等感が解消されていく。
合わない人との関係も同時に改善されていく。


次第に周囲から苦手な人がいなくなっていくという奇跡の効果も目の当たりにする。


特に虐待歴のある親子との絶望的な関係すら修復してしまうという難関を突破するのも、この真逆という性質ゆえの奇跡だ。

 

 

 


③最大の愛と最大の厳しさを与え合う

 


この「融合した人々」は壁がある人々への希望の光となり得る。
完全なる正しいコミュニケーションが何かを示す手本になるからだ。


境界線を取っ払い、心と心を結ぶことは、人に何をもたらし、世の中、社会に何をもたらすのかを教えてくれる。
真逆な性質ゆえに、最も合わない人とのコミュニケーション方法を知ることができる。


本物の安心と愛は、自己に思う存分フォーカスできる自由をくれる。
こうあるべきというルールが一切ないからだ。
愛とは相手を無条件に許容することだ。
なおかつ相手を見捨てることもない。


そして、自己の愛と、他者への愛のバランスを見事に教えてくれる。
その軸からズレたときのみ、「融合した人々」は厳しく、容赦なく相手を遮断する。
真逆の性質故に、相手の劣等感を逆撫ですることが起きる。
それはこの世で最も痛い事故のようなものだ。
無意識に相手の不足を感じ取り、そこを鋭利な刃物で突いてしまう。
それが相手から逃げ出したくなる1番の理由である。
しかし逃げ出すことができず、向き合うハメになる。
そうしていくうちに、この世で最も深い愛と、最も厳しい愛で互いを愛の人へと導くことになる。

 


この世には血の繋がった家族からも逃げることができる。何十年も寄り添ったパートナーとも別れることができる。


しかし絶対に逃げられない相手がいて、互いの逃げ道を互いが塞ぎ合うことのできる奇跡の相手がいる。
相手の未熟さを許さず、決して離れることもしない。最も突き放し、最も側にいるのだ。
自分の成長から逃げると、自分を愛する最大のパートナーからの鋭利な言葉が投げかけられる。耐えられなくて倒れそうになっても、最愛のパートナーからの愛で自然に回復させられる。
互いへの愛故に、自己から逃げず、互いの側にいることを選択せざるを得なくなる。
逃げることのできない本物の厳しさと、本物の愛で正しい真実の愛を思い知らされることになるのだ。
そしてその関係性は自己と他者への均等な真実の愛の雛形となるのだ。

 

 


この3つをもつ「融合した人々」の涙ぐましい努力と奇跡の相性はやがて、真実の愛の雛形を作り、周囲への愛へと姿を変え広がっていく。

 


「融合した人々」は自己の中にある壁、境界線の意味を思い知らされることになる。純粋の愛を持っているが故に虐げられた記憶や、助けられなかった周囲の愛する人々や、力のない自分への絶望など、あきらめてしまった何かの記憶を乗り越え、再び立ち上がらないとその壁は壊せないからだ。

 


やがて傷だらけになって立ち上がり、人生をやり直すことを誓わずにはいられなくなる。
そして真実の愛による成長、自己と他者への成熟した愛を持った人へと変身を遂げる。
周囲の人へ、その築いた完全なる厳しさと、側にいる優しさを再現し出すのだ。
周囲の人との壁も次第に薄くなっていく。そしては周囲の人々は、そのまた周囲の人へと愛を繰り返していく。


その「融合した人々」の愛はやがて海面に落ちた雫のごとく、周囲へと広がる波紋になるのだ。


真実の愛は、この「融合した人々」のみが知る。
奇跡のパートナーシップと言えよう。