ツインレイのその先
この間から考えていたことが少しまとまりました。
それに伴って、魂というものが何なのか、気というものが何なのかも少しずつ謎が解けていったように思います。
結論から言うと、ツインレイはゴールではなくゴールの証明のようなものだと思いました。
自分の人生まるごと素晴らしいと思えるものにすることがゴールだとすると、そのとき隣にはきっとツインがいるはず。
でもツインを求めるときっとうまくいかない。
最近、気というものが体に満ちているのを感じています。
気迫ですね。
霊的な体質になると、たくさんのものを受信してしまうようになり、それらに翻弄され、ネガティブなものにも影響されやすくなりますよね。
そしてヘトヘトになってしまう。
この霊的体質はたくさんの角度から調整しないといけない。
それは知識や実践や、いろいろあります。
ツインに至っては、生半可じゃダメな気がしますね。
まるで僧侶のような生き方をしているなと思います。
霊能力が強すぎると、きちんと勉強しなくてはならない。
お寺で生きることになる人もいると思います。
そのくらい、きちんとした勉強が必要。
そう思いました。
霊的な力は軽々しく扱っていいものではないし、きちんと信仰しなくてはならない。
そして体などフィジカルな面でも鍛えていく。
一つ一つ確実に。
大きなエネルギーが体を通るようになると、大きな自我とつながることが必須になります。
あらゆるものに幸せを渡せる人になること。
愛をベースにした厳しさを持つこと。
この世は厳しいだけで、愛がベースになってない。
機械的なんです。
だからダメなんですね。
厳しさとは、愛を広げるために使うものです。
ここが1番大切な気がします。
愛を広める厳しさを持った人になる。
そうすると体も心も気が満ちて、疲れなくなる。
病気もしなくなる。
ツインはその答え合わせができる存在。
そんなことに気づきました。